So-net無料ブログ作成

「ジンギスカン」平幹二郎と佐久間良子の息子・平岳大が主役 [演劇]

ル テアトル銀座で、上演されている、ミュージカル様式を取り入れた、
戯曲「ジンギスカン」を、観に行った。
日本とモンゴルの親善公演ということらしい。

物語は、主人公・テムジン(平岳大さん)が、ジンギスカンとなっていく、
一時期を切り取って、2幕の演劇となっていた。

平さんは、平幹二郎さんと、佐久間良子さんの息子で、今、33歳。
180cmを超える長身で、イケメン。父親に似ていると思った。
会社員をしていて、28歳の時に、舞台デビューとは、知らなかった。

モンゴルが、他の部族に攻められて、離散状態の時に、部族長になったテムジン。
テムジンは、戦闘や殺し合いを繰り返す、モンゴル平原の諸部族を、統一しよう、
と、壮大な夢を持つが、弱小な部族長では、それは、到底、不可能にみえた。

一方、ケレイトの族長・ジャムカ(榎木孝明さん)は、寄らば大樹の陰とばかり、
強大なナイマン族の属国となり、生き残ろうと、必死だった。

映画やTVで、超有名な榎木さん(52歳)は、さすが、舞台出身だけあって、
今回の舞台での、立ち回りや、身のこなしは、一番良かった。
特に、セリフをいうタイミングというか、間の取り方は、絶妙だった。
映画やTVの時よりも、うまいと思った。

テムジンとジャムカは、ライバルだけど、お互いを気に入って、
義兄弟になる。ところが、ジャムカの許婚・カルカ(相田翔子さん)を、
テムジンが惚れてしまうから、大変なことになる。カルカも、テムジンを
好きになってしまう。
演劇って、ある国の王様の御妃に、ヒーローが恋してしまうという話が多くないか?

相田さんは、歌手出身で、いまでは、女優として、活躍している、37歳。
いかにも、日本的な顔で、華奢な身体だけど、身体全体で、熱演していた。
歌手出身なのに、劇中で歌う歌は、そんなに、上手でなかった。
平さんも歌を歌ったが、彼のほうが、うまいと思ったな。

テムジンは、暴れまわるが、ナイマンと、ケレイトに、捕らえられて、
投獄されてしまう。いつも、カルカが、テムジンの危機を救う展開となる。
テムジンは、東方にある、まだ見たことがない海まで、モンゴル族の
勢力圏を伸ばすんだ、と、カルカに、夢を語る。
カルカは、テムジンに、私も連れて行ってくれ、と、懇願するが、
テムジンは、それを振り切って、自らの道を行くのだった。

モンゴルの俳優たちも、この演劇に、ジョインしているようだった。
役者たちが着ている、モンゴルの服装や髪形など、いかにも、モンゴル的で、
日本の舞台に見慣れた私には、とても、新鮮だった。
もっとも、刀は、日本と同じに、腰に差している形で、日本と同じだ。
刀自体の形状は、違うけどね。

第2幕は、第1幕の10年後。テムジンが、ジンギスカンとなり、
モンゴル平原を、どんどん、平定していっていた時代だ。
ジンギスカンの大軍が、ジャムカの城に迫った時、ジンギスカンは、
ジャムカの妻となっているカルカを、一夜の話し相手をとして、所望する。
そうすれば、城を占領しないで、他へ転戦すると、言うのだった。

ジンギスカンが、10年前、一目惚れしたカルカを、まだ、想っていたのか?
本当に好きならば、10年前、ジャムカの許婚であろうと、なんであろうと、
カルカを略奪して、連れて行ってしまえば、よかったのに、と、私は、思った。
10年も経ってしまえば、手遅れだよ。

その手遅れが、大きな悲劇を、生むことになってしまった。
ジンギスカンの所へ、行くことを許さない、ジャムカの目を盗んで、
ジンギスカンに、逢いに来たカルカは、もう、10年前のカルカと違い、
ケレイト族の人たちを救いたい一心で、そうしたのだった。

すれ違う二人の気持ちが、揺れ動き、カルカは、隠し持っていた短剣で、
ジンギスカンを、刺し殺そうとした。この時になって、初めて、
ジンギスカンは、自分が望んだことの愚かさを知るのだった。
そして、ジンギスカンは、手も握らずに、カルカを返すのだった・・・・

この辺りは、けっこう、見ごたえがあった。昔の恋愛なんて、もう、
二度と、元には戻らない。悲しいけど、誰でも、経験したことがあることだ。

そして、城に帰ってきたカルカは、ジンギスカンが城攻めをしない、
食料や水もくれる、という成果を、ジャムカに話すが、嫉妬に狂ったジャムカは、
カルカを、切り殺してしまうのだった!!?? あーあ、なんていう展開だ!!

ジンギスカンとカルカの恋愛は、悲劇となって、終わってしまった。
この演劇、特に、第2幕が見ごたえがあり、役者たちの熱演で、
私は、思わず、涙ぐむこともあった。

演劇には、やはり、映画やTVにない、迫力があるなあ、と、痛感した。
今回は、かぶりつきに近い座席だったので、役者の表情や動きを、
間近に見ることができて、より、そういう思いが強かった。





nice!(1)  トラックバック(0) 

湘南にやってきた「宝塚歌劇 宙組公演」内容の濃さに感動 [演劇]

11月4日の夜、宝塚歌劇が、湘南に来るというので、誘われて、
生まれて初めて、宝塚歌劇なるものを、見に行った。
やってきたのは、5組のうちの1つ、宙組(そらぐみ)で、
どうも、全国ツアーをやりながら、宝塚歌劇を、宣伝する組らしい。

パンフレットを見たら、千葉 → 神奈川 → 富山 → 岐阜 → 名古屋 →
静岡 → 福岡 → 熊本 → 佐賀 → 宮崎 → 鹿児島 とあった。
けっこう、いろんな所を、回るんだね。

観客の9割は、女性で、若いのも、年取ったのも、たくさん、いた。
男性も、若者から、爺さんまでいたが、私も含めて、
この日ばかりは、小さくなっていた。

実質2時間半で、前半1時間半がミュージカルで、残り1時間がレビューだった。
ミュージカルは、「バレンシアの熱い花」と題した、
19世紀初頭のスペインの物語だ。
まあ、ストーリーは、どうってこと、なかった。
身分の違いで、お互い、恋愛を諦めるところは、いまどき、保守的かな。

ただ、私が、宝塚歌劇を、みくびっていたことを、思い知らされた。
まず、舞台衣装が、想像以上に、豪華絢爛で、驚かされた。
惜しみなく、お金を使った、という感じが、見るものを、満足させる。

出演者、全てが、歌とか、踊りが、上手で、手足の先まで、気が入っている。
演技に、感情が入って、見ている私が、思わず、感情移入させられたほどだった。
こういう演技ならば、下手な俳優や女優じゃ、遠く及ばないぜ。
映画「武士の一分」で、キムタクの奥さん役をやった、
壇れいさんが、演技が上手だった訳が、分かったような気がした。

ともかく、男役も、女役も、みんな、一生懸命やっている。
手を抜いている印象は、ゼロ。それが、舞台から、直に伝わってくるのがいい。
皆、目線は決まっているし、姿勢がいい。男役は、背が高いね!!!!

でも、男の私には、男役は、やっぱり違和感があった。
中身は、女なんだ、と、つい、思ってしまう。
それに、男は、男役を出来ないぜ。ちょっと、キザっぽいし・・・・

女役は、美人過ぎるし、可愛すぎる。男には、目の毒かも・・・
なんか、マルガリータという役の女の子、ゆうこりんにそっくり!!!
外見も、しゃべり方も。ああいう女の子も、宝塚には、いるんだ!!

クラシックバレーに比べると、ジャンプや空中姿勢は、やはり、劣る。
比べるべきでは、ないけどね。
音楽は、テープによる録音だった。生演奏なら、もっと、良かった。

後半のショーは、前半を上回る、絢爛豪華な舞台で、別世界だった。
場面は、次々と変化するテンポの良さで、緩慢さや、冗長さが、ない。
数が限られた、出演者たちが、出てくるたびに、衣装を変えている。
わずかな時間に、一体、どうやって、着替えているんだろう、と、マジ、思った。

舞台の面白さの1つは、舞台の左から右まで、全部を使った、動きの広さだろう。
舞台に、大勢の出演者が、展開していると、その迫力に、圧倒されてしまう。
特に、このショーは、舞台を降りて、客席の通路にまで、展開したので、
ファンへのサービスを、よく考えているなあ、と、感心した。

男の私として、嬉しかったのは、ハイレグ姿のラインダンスだ。
絢爛豪華な衣装で出演していた、女性陣が、その衣装を脱ぎ捨て、
ふとももも、あらわに、足を上げて、いたなあぁぁぁ!!!  あーあっ!
こんなダンス、女の人が見ても、意味無いけどなあ・・・
男性で、宝塚ファンがいると聞くが、案外、こんなところが、いいんじゃないか。

今回、1回しか見ないで、それも、宝塚劇場で見てないので、
宝塚歌劇の真髄には、触れられなかったかもしれない。
でも、その良さは、分かったつもりだ。

自ら、進んで、東京宝塚劇場に、足を運ぶつもりはないけど、
また、誘われたら、見に行って、みたい。
それにしても、今回の6500円は、絶対、安い。




nice!(0)  トラックバック(0) 

大地真央ミュージカル「マイ・フェア・レディ」 [演劇]

6月23日は、浮世の義理で、「マイ・フェア・レディ」を観にいった。
大地真央さん主演のやつで、横浜では、初めての公演だとか。
会場の県民ホールは、満席ではなかった。
やはり、年配の観客が多く、予想通りだった。

「マイ・フェア・レディ」と言えば、オードリー・ヘップバーン主演の
有名な映画が、ある。
舞台で見ていても、どうしても、映画と比べてしまうのは、仕方がない。

大地さんは、もう、50歳を過ぎ、いくら宝塚出身でも、
踊りとか、歌とか、大丈夫か、と思って、余り期待していなかった。
たしかに、踊りながら、歌う大地さんの歌は、ちょっと、ブレていた。

それでも、年の功で、ユーモアというか、お笑い取るタイミングは、
大地さん、かなり、うまい、と感心した。
主人公のイライザは、貧民の娘で、いくら、ヒギンズ教授が、
正しい英語を教えたとしても、全体的な雰囲気までは、変えられまい。

映画では、オードリー・ヘップバーンが、最初こそ、汚れ役で出てきたが、
後半は、余りに、綺麗で、行儀よすぎが、不自然といえば、不自然だった。
その点、大地さんのイライザは、相応の庶民らしさがあって、自然だった。

ミュージカルなんで、当然、いろんな歌が歌われるけど、
翻訳した、日本語の歌詞は、かなり、違和感があった。
私は、マイ・フェア・レディ中の多くの歌を、英語でしっかり記憶しているから。
まあ、日本人が観るミュージカルの歌は、日本語でやれば、大衆的魅力も出るだろう。

このミュージカルのファッションは、当然、映画を意識したもので、
かなりのファッションが、映画と同じようであった。

イライザの父、ドゥーリトルを、上条恒彦さんが、演じていた。
もう大分高齢なのに、舞台狭しと踊りまわる、バイタリティには、頭が下がった。
昔通り、歌も迫力満点だったけど、滑舌が悪く、セリフが聞き取れないことが多かった。

ヒギンズ教授の親友・ピッカリング大佐を、羽賀裕一さんが演じていて、
イライザやヒギンズ教授との距離のとり方が上手で、自然な演技だった。

にせ貴族のイライザに恋してしまう、若い貴族フレディを演じた浦井健治さんの、
「君住む街で」の透き通った、歌声は、この歌のメロディが大好きな私を、
十分満足させるもので、嬉しかった。

脇役やその他大勢たちの、コーラスが、美しくハモって、うっとりしてしまった。
もちろん、ナマのオケが伴奏をしているので、管弦楽などのハーモニーも、綺麗だった。
やはり、生演奏ってのは、これに限る、というところだ。

さて、ヒギンズ教授役を演じた、石井一孝さんだけど、ちょっと、若作り。
血気盛んな、好青年という印象だった。
でも、これは、どうかな????
映画では、渋いヒギンズ教授だったけど、やはり、この方が、ストーリーに
合っていると思った。

というのは、ヒギンズ教授は、恋愛など、女性との付き合いで、散々な目に逢っている。
だから、彼は、女性問題では、枯れていて、全然、期待をしていない。
そこに、今までとは違う、イライザという女性が出現し、恋心に目覚めるのだ。

ところが、石井さんのヒギンズ教授は、ヒステリックに女性を攻撃するだけで、
しみじみと、女性に期待していない、という諦観の演技には、なっていなかった。
だから、なぜ、最後に、イライザが恋しくなるのか、少し、説得力がなかった。

このマイ・フェア・レディという物語を、お金持ちの独身先生が、
面白がって、貧乏な若い娘を、貴族に仕立て上げ、ゲームみたいに
楽しむ物語だと思ったら、それは、間違いだ。
もちろん、そういう要素は、当然ある。

しかし、男性の飾りで、男性に奉仕すれば、それで満足していた、
当時の多くの女性と違い、自己主張して、自立心が旺盛なイライザという娘に、
ヒギンズ教授は、遭遇し、それまでの自分自身の女性観を、かなぐり捨て、
イライザに恋をしていくという物語は、いつの時代にも、普遍の魅力を、持つのだろう。
それが、このミュージカルが、世界で一番愛されている、大きな理由だろう。

義理で、期待しないで観にいった、このミュージカル、意外によかったのは、
やはり、主役・大地真央さんの、年齢に負けない一生懸命さと、
それを助ける、脇役の皆さんが、一丸となった結果なのだろう。


nice!(0)  トラックバック(0) 

オペラ「蝶々夫人」誇り高き明治の女 [演劇]

この間、CATVで、プッチーニ作曲の有名なオペラ「蝶々夫人」の
紹介番組をやっていた。
有名なオペラだけど、実は、私は、よくは知らないのだ。

私は、クラシック音楽のファンなんだけど、オペラには足を踏み入れなかった。
以前、大学のオペラヲタが友人にいて、ハマルと抜けだせないぞ!
と、脅されたので、避けていた。

オペラなので、当然、いろいろな曲、アリアが挿入されている。
「ある晴れた朝に」を始め、どの曲も、なんか、とても胸に迫ってくる。
切々と蝶々夫人の気持ちが、伝わってくる。
やっぱり、じっくり聴き込むと、このオペラにハマりそうだ。

この「蝶々夫人」のストーリーは、一言で言えば、
アメリカ海軍の士官、ピンカートンの、現地妻になった、芸者蝶々さんの悲劇だ。
日本女性を現地妻なんて、なんてヤツだと思うが、
日本人だって、東南アジアへ行って、現地妻を作る輩もいるではないか!

まあ、時代が明治なんで、考え方は、よほど古かったと思うが、
現地妻を持ちたいなんていう、男の気持ちは、時代を超えて、あるのかな。

いい加減なピンカートンに比べて、
蝶々さんは、純情で、真面目で、いい加減な人ではなかった。
帰国したピンカートンを、ひたすら、待ち続けるのだ。

いまどきの人々なら、あ、もう、いい!
帰ってこないヤツは、もう知らん!
別れて、別のいい男を捜そうって、ことになるに違いない。

現代から見れば、蝶々夫人は、お人好しの、世間知らずなのだろうか??
私は、ひたすら、ピンカートンを信じ続けた蝶々夫人の一途さに、ジーンときた。
人を信じ続けることができれば、それが一番いい。

そして、蝶々夫人は、絶望して、自害してしまうのだが、
「名誉をもって生きられなければ、名誉を持って死ぬ」という蝶々夫人の言葉は、凄い。
こういう誇り高い生き方を、現代日本人はしているだろうか?

自殺などというと、今の時代、命を粗末にして! とか言われそうだが、
武士の影響が残っている明治時代初期なんで、自害も仕方ない。

ただ、現代日本で、誇りを忘れ、上司にペコペコして生きている
リーマンとか、多くないか!?
そんなことを、ふと、思った「蝶々夫人」だった。





nice!(0)  トラックバック(0) 

ウディ・アレン「漂う電球」本邦初公演 [演劇]

10月19日(木)の夜、アメリカの劇作家ウディ・アレンの戯曲、
「漂う電球」を見に行った。
この戯曲は、1981年、NYで初演され、本邦では、今回が初公演だそうだ。

場所は、湘南台文化センターで、湘南に住んでいる私には、好都合だった。
小田急の江ノ島線、湘南台駅近辺は、湘南の中でも、発展が著しく、
このセンターも、特異なデザインの建物で、フラッシュを多用した
動く時計塔が、夜空に映えて、なかなか面白かった。

雑誌「シアターガイド」10月号の表紙は、この「漂う電球」で、
その紹介記事の中に、ちょっと地味な戯曲だ、なんて書いてあったから、
面白くないことを、恐れていた。
それに、前半70分、休憩10分、後半70分の長丁場で、退屈しないかと・・・・

ところが、見終わった感想を言えば、とても、面白かった!!!
設定は、1940年代で、アメリカの貧しいユダヤ人一家の話なんだけど、
現代日本の状況に通じるテーマが、いろいろあり、考えさせられた。

あと、役者はたった6人しか出てこないが、皆、上手だった。
長男ポールは岡田義徳さん、二男スティーブは高橋一生さん、
母親イーニッドは広岡由里子さん、夫マックスは伊藤正之さん、
マックスの恋人ベティは町田マリーさん、興行マネージャーは渡辺いっけいさん。

岡田さんといえば、TVドラマ「太陽の季節」や「大奥」で、
池脇千鶴さんと共演した時の演技を思い出す。
私の好きな俳優さんだ。

この戯曲は、夢と現実の乖離に悩む、各登場人物の苦悩について、描かれている。
ポールは、手品師になりたいが、人前で話すことも出来ない。
その母親は、貧乏暮らしを抜け出したいが、夫も息子も、頼りにならない。
その父親は、重荷になっている家族を捨てて、若い女とやりなおしたい。
などなど。

こういう有様を見ていると、どの国でも、いつの時代も、同じような人間模様だ。
こんな暗くなるような戯曲のストーリーだが、
劇の展開に工夫があって、観客をゼンゼン飽きさせないのは、凄いと思った。
あと、随所随所に、笑いを入れてあるので、場内から多くの笑いが起きていた。
そのお陰か、140分の劇を見終わっても、疲れが無かった。

この「漂う電球」は、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの演出で、
それで、上手に出来上がっているのだろう。
ケラリーノさんは、「オリガト・プラスティコ」を2001年に始め、
「漂う電球」は、そのVol.3だ。

ケラリーノさんといえば、人気TVドラマ「時効警察」の第8話を
監督したのが、思い出される。

今回、劇中で演じられた、ポールの漂う電球のマジックは、とても幻想的で、
とても不思議で、とても綺麗だった。
一体どうなっているんだろう、という気持ちを、観客に起こさせるには十分な芸だ。
恐らく、稼いでいける芸で、飯のタネだと思った。

でも、ポールのように才能はあっても、それを、世に出していく才覚がなければ、
宝の持ち腐れだ。
それは、ちょうど、マジックの電球のように、宙に、漂っているようだ。
こんなふうにして、多くの才能が、眠っているのかもしれない。


nice!(0)  トラックバック(1) 

劇団四季「オペラ座の怪人」の感動 [演劇]

昨日夕方、新橋駅のシオサイトの電通四季劇場「海」で、「オペラ座の怪人」という
ミュージカルを、誘われて、見に行ってきた。面白かった!
観客は老若男女、バラエティーに富んでいたが、やはり、若い女の子が多かった。

このミュージカルの見所の1つは、豪華な衣装や派手あるいは幻想的な舞台、
そして、IT技術を駆使した舞台装置である。
舞台を左、上、右と取り囲む黄金色のプロセニアム・アーチを何度も見上げてしまった。
巨大なシャンデリアの意外な動き、トールボーイのキャンドルの幻想的な出現、
階段やボートの動きの巧みさ、すばやい舞台の変化、などなど、目を奪われることばかり!
その非日常性は、私たちのストレスを解消するのに、十分なレベルである。

やはり、出演者が目の前の舞台で演技する醍醐味は、何回経験しても最高だ。
舞台一杯に何人もが踊る場面は、ダイナミックで映画やTVで味わえない。
特に、今回、舞台一杯に作られた何段もの階段で、20人以上が踊り狂う場面は、
絢爛豪華な衣装が舞うきらびやかさと千変万化の動きに見とれてしまった。

オペラの話なので、出演者が、皆、正統派の声楽家であるところが、
他のミュージカルとは違うところである。
なかでも、この日、クリスティーヌを演じた苫田亜沙子さんの歌は、
実に上手で感動的であった。歌唱力はもちろん充分で、声も宝石のように美しいが、
なにより、その音楽性に優れ、何回か、不覚にも、私は涙を流してしまった。
胸に迫ってくる歌ばかりであった。

苫田さんは、この「オペラ座の怪人」を見て憧れ、この世界に入られたとか。
芸術大学で声楽専攻だ。やはり、正統派である。
自らの夢をかなえて、堂々とクリスティーヌを演じているなんて、素晴らしい!

醜い顔の怪人が、クリスティーヌに恋をして、歌を教えるなどいろいろ貢ぐが、
失恋してしまう。そして、逆恨みしていく。
特殊な怪人を取り上げているが、実は、よくある片思いの恋の顛末ではある。
冷酷な処女と間抜けなブ男の物語といったら、怒られるかな。
太宰治の「カチカチ山」だね。この短編は面白い。

オペラ座の怪人が被っている仮面の意味を考えてみた。
自分の顔の醜さを、仮面で隠して、世間の目から防御したい気持ちはわかる。
しかし、のっぺらぼうの風貌に変わるだけだ。世間の好奇の目からは逃れられない。

私たちは、仮面を被るように本心を隠して、他人と付き合う。
それは、醜い心を隠すためなのか?
そんなことをしても、怪人と同じように、醜い心は自ずから表面に表れてくる。
他人を憎んだり、馬鹿にしたり、陥れたり、騙したり、そういう醜い心を持たずに、
美しい心で生きていくことが大切だと、このミュージカルは教えているように感じた。


nice!(0)  トラックバック(0) 

ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の普遍性 [演劇]

昨日、日生劇場でミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」を見た。
誘われて行ったので、このミュージカルの筋書きは全く知らないで見に行った。
多分、屋根の上でバイオリンを弾くのだろうと半分冗談でいたら、
本当にその通りだったのにはビックリした。
やはり、観劇は迫力がある。臨場感!
目の前で、役者が演技する醍醐味! 痺れたね。

お父さん役のテヴィエには、市村正親さん。
いい声しているし、笑いの間がイイ。歌も歌えるし、踊りもできる。
かっこいい。篠原涼子さんが惚れるのも無理ないか。
しかし、テヴィエに、「年が離れすぎている結婚はけしからん!」
なんていう台詞があって、市村さんの現実を考えると、面白かった。

この物語は、古いロシアのユダヤ人村のものだが、
そんな特殊な条件も吹き飛ばしてしまうような普遍的なテーマが満載だった。
そのなかでも、恋愛は凄い永遠のテーマ。
地域を越え、国を越え、民族を越え、男と女は惹かれ合う。
そして、その力は強大だ。
親と子供は強く結びついていても、いずれは、子供は大人になり、
親から旅立っていく。親と子も一時のつながりか・・・。

どんなにその土地で頑張っても、戦争あり、民族弾圧あり、圧政あり、で、
他の土地へ流れていく。人間の営みは儚い。

「たましきの都のうちに、・・・・・・・・昔ありし家は稀なり。・・・・・
所も変わらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二・三十人が中に、
わづかにふたりなり。朝に死に、夕べに生まれるるならひ、
ただ水の泡にぞ似たりける。」 鴨長明「方丈記」より抜粋。


nice!(0)  トラックバック(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。