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「絵で読む宮沢賢治展」内容が濃い展示に望外の喜び [絵画]

湘南の平塚市の平塚美術館で、9月15日から
開催されている「絵で読む宮沢賢治展 賢治と絵本原画の世界」を、
やっと見に行ってきた。

10月11日の神奈川新聞の一面下の「照明灯」という欄で、
見てきた記者が、賢治の「他者を触発する力」のことを、絶賛していた。
おー、これは、先を越されたなんて、思っていた。

さらに、童話作家として良く知られている、宮沢賢治自身の絵もある
というので、すごく興味があった。
でも、既に行ってきた友人が、大したことないようなことを、言っていたので、
一応、しょぼくても、ガッカリしないように、予防線を張って、行った。

ところが、行ってみて、展示されている量が多いのに、まず、驚き、
入館者が多いのにも、驚いた。さすが、宮沢賢治だ。

宮沢賢治が描いたという、「日輪と山」という水彩画は、とても小さかったけど、
すごくいい絵だなあ、と、賢治の才能に、感心した。
童話や詩も書いて、絵も描いて、農業研究者としても立派で、
賢治みたいな天才は、何をやっても、こなしてしまうのだろう。

今回、改めて、賢治の写真を何葉か見たが、とても、真面目な印象で、
その徹底した真面目さが、根底にあって、私たちに、訴えてくるのでは
ないかと、しみじみ、思った。

賢治の原稿が、多数、展示されていたのは、嬉しかった。
直接、賢治に出会ったような、そんな臨場感があった。

私が大好きな童話「やまなし」の原稿があり、とても、興味深かった。
賢治の原稿は、あまり修正していないものと、ものすごく校正を
入れているものがあるが、この「やまなし」はそれが少なくて、
こういう独創的な童話を、すらすら、書いたのだと思うと、
賢治の才能に、またまた、感心したのだった。

賢治の実妹が、24歳という若さで亡くなったが、
そのことを書いた、「永訣の朝」の原稿が展示されていて、
妹を失った賢治の深い悲しみが、書かれた文字に溢れている、と思った。
こういうことは、実際の原稿を見ないと、分からない。

ちゃんとした原稿用紙を使っている場合と、白紙の紙を使っている場合がある。
その両方を、混用している場合があることも知り、驚いた。
原稿用紙を使っても、ます目に、字を入れずに、書き連ねたものもあった。

賢治の童話は、ページが紛失されているものもあり、
そのページが読めないのは、たいへん、残念だ。
銀河鉄道の夜も、途中、1ページ失われているところがある。

賢治が、「雨ニモマケズ」を書きとめた、手帳の現物を、初めて見た。
想像していたよりも、とても、小さい手帳だった。
冒頭に、「11.3」の記載を確認した。11月3日とは、書かないか・・・

「雨ニモマケズ」は、日本人に最もよく知られた詩である。
いろんな芸術家に影響を与えてきたのは、言うまでもないが、
棟方志功の「雨ニモマケズ」の版画には、目を奪われてしまった。
すごくいい、版画だったな。

実にいろいろな画家が、挿画を描いているのに、感動した。
神奈川新聞の記者が指摘するように、賢治の童話は、
画家たちを、大いに触発した証拠だろう。

しかも、画家によって、賢治の、童話の世界のとらえ方が、異なり、
同じ童話に対して、その画風や印象が、実に異なる挿画あることに、
驚かされた。

上述した童話「やまなし」の挿画もいろいろ展示されていたが、
最初のものがあったのは、とても、嬉しかった。
蟹が生きているような、そんな素敵な挿絵だった。

賢治は、極めて、本質的、普遍的なテーマを取り上げているので、
時代を超え、個人個人の違いを超えて、親しまれるのであろう。
賢治の童話を100人が読んだら、100通りの賢治がある。
といわれる所以である。
今後も、賢治に関する展示会とかあれば、必ず、行くことにしたい。



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迷宮美術館 修復すると見えてくる画家や彫刻家の真意 [絵画]

NHKで放送された、迷宮美術館とかいうTV番組を、珍しく、見た。
なんとなく、チャンネルを回して、見たわけだけど、私が興味を持つことが
2つ放送されて、そんな、予感がしたのかな、なんて、思った。

番組全体は、絵画や彫刻の修復が、メインテーマだった。
私が興味を持つ、1つめは、オランダの画家・フェルメールが描いた、
「真珠の首飾りの少女」の絵の修復だった。
この絵画は、以前、ここのブログで書いたように、私の、大のお気に入りで、
現地・ハーグのマウリッツハイス美術館に、見に行ったほどのものだからだ。

この絵画は、1994年に修復され、それまで、やや暗い感じの絵画が、
明るい、華やかな絵画に、なったのだった。
幸い、私は、修復後のこの絵画を見ているのだった。
300年以上前に、描かれたこの絵画が、妙に、瑞々しかったのを、記憶している。

番組の中で、この少女の口元にある、白い点が、再現されたとのこと。
確かに、この白い小点があると、いきいきしてくるから、不思議だ。

私が興味を持つ、2つめは、スペインバルセロナにある、
アントニオ・ガウディの、サグラダファミリア贖罪聖堂だ。
1882年に建設が開始されて、いまだに、建設が続いている、壮大な計画だ。

私は、少し前に、バルセロナを訪問して、あの塔に登ったことがある。
なんとも、想像を絶する、凄い建築物だった。

その時は、知らなかったが、この聖堂の、生誕の門の、15体の彫刻像は、
なんと、日本人が修復したものだったんだ!!!!
いやー、これは、オドロキだったね!

しかも、この日本人彫刻家は、スペインから招聘されていったわけではなく、
旅行の途中で、現地の建築委員会に掛け合って、この聖堂の建築グループに入り、
今では、建築主任となって、現地に住み着いている、というから、凄い話だ。

他に、上下に、切断された2つの絵画の話があった。
これは、2つの絵画が、別々の絵画として、鑑賞されてきたが、
実は、切断されたものと分かり、上下、つなげてみると、
良く意味が分かるようになった、というもの。

西洋の絵画には、こういう話が、多いのかもしれない。
箱根のポーラ美術館でも、左右別々の絵画として、収集したものが、
実は、1つの絵画だった、というものが、展示されていた。
経済的な理由で、切断してしまうのだろうか?

2003年にメキシコで見つかった、岡本太郎の幻の壁画「明日の神話」の
修復の話もあった。
なぜ、ぼろぼろになるまで、放置されていたのか、不明だ。

ともかく、日本人が、この壁画を修復したのだけど、
壊れて、飛び散った破片が、8000個もあって、それを、壁画に戻していったとか。
気の遠くなるような作業で、根気のない私は、とても、無理無理。
ここで、考古学の知識や方法が、役に立ったそうで、ちょっと、面白かった。

汚れた絵画を、清拭するとき、「超純水」なるものを、使っていた。
これは、良く知らなかったので、感心した。

現物の絵画が、スタジオに、持ち込まれていた。
明治時代の終わりに描かれた、「西洋夫人像」で、長野県の信濃美術館が
所蔵しているのを、借りてきたとか。
「西洋夫人像」は、椅子に座る、着衣の夫人の絵だけど、
赤外線カメラで見ると、絵画の下層に、裸体の夫人像が、認められるというのだ!!
つまり、裸体の夫人像を描いた上に、着衣の夫人の絵を、描いたんだ。

なぜ、こんな、絵を描いたのか、番組は、詳細を、説明しなかった。
そこで、私は、考えたね。
まず、「西洋」と付ける意味が、着衣の像には、無いように思える。
まあ、洋服だから、とか、椅子に座っているから、とか、いう理由も
ありそうだが、私は、ズバリ、裸婦像だったから、と言いたい。

でも、明治時代の終わりに、大胆すぎたので、上から、服を描いたのだ。
それに、この「夫人」というのは、一体、誰の夫人なのか???
この作者の奥さんでは、ないのか? 恋人? 愛人??
謎が、謎を、呼ぶけど、両方の絵を残せば、良かったのに・・・・・

ちょっと、総花的なTV番組だったけど、フェルメールとガウディが
出てきたので、面白かった。





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竹久夢二伊香保記念館 作品の多さと多彩さで圧倒された [絵画]

先日の連休に、伊香保温泉を訪れた。
台風の接近で、もう、いけないんじゃないかと、心配していたが、
台風が南にそれて、雨の中、なんとか、伊香保温泉に、たどり着いた。

そこで、有名な竹久夢二記念館を、訪れた。
まず、記念館の建物自体が、非常に趣のある、日本的な建物だった。
やはり、コンクリートむき出しの建屋では、日本人芸術家向きではないね。

台風が迫っていて、強い雨が降っているというのに、満員の盛況だ。
まあ、私もそのうちの一人だったんだけどね。
昭和の初期に亡くなっている、古い人なんだけど、
夢二の影響力の大きさと、人気の高さが、感じられた。

私は、夢二といえば、あの独特の美人画だ、と思っていた。
ともかく、独自の画法で、すぐに、夢二が書いたとわかる。
独創的な芸術家は、みな、そういうものだ。

描かれている和服や浴衣姿の美人たちは、みな、顔が、よく似ている。
ちょっと面長で、憂いに満ちた表情だ。
この記念館に、夢二の奥さんの写真が、展示されていた。
それを見ると、奥さんの顔は、美人画の顔と、瓜二つだった。

記念館を見てまわると、夢二は、美人画だけでなく、
児童画とか、いろんな絵を描いているし、書籍の装丁画や、
楽譜の表紙の絵、浴衣や手ぬぐい、タオルなどのデザインも手がけている。

こういう多数の作品を見ると、夢二は、大正時代の、アートデザイナー
だったことが、よく分かった。
夢二は、色の感覚がすばらしく、色の組み合わせに、天才を感じる。

本の装丁で、鶴の図柄をたくさん書き込んだものがあったが、
私は、それがとても気に入ってしまった。

夢二は、自分の絵、特に、美人画に、自分の俳句や和歌をつけている。
とても、多才な芸術家だったんだな、と思った。

竹久夢二が、なぜ、伊香保温泉に興味を持ったかといえば、
ファンレターに、伊香保のことが書いてあったからだ、という。
だから、夢二が、伊香保に行ったのは、30代後半と、以外に、遅い。
榛名湖畔に、美術研究所みたいなものをつくってしまうのだ。
生活に密着した、デザインを、追求したという。

51歳でなくなったそうだが、それにしては、作品の数が膨大だ。
おそらく、夢二は、仕事が速かったのだろう。
夢二の絵の線は、ためらいなく、一気に書かれたような、綺麗さがある。
彼は、一筆で、綺麗な線をかけてしまう、天才だったと思う。

併設されている、音のテーマ館と、ガラスの館も、訪れた。
音のテーマ館は、100年ぐらい前のドイツ製オルゴールを実演していた。
なんとも、優雅な音の響きに、感心してしまった。

オルゴールを駆逐した、英国ビクター製の蓄音機の音も、実演していた。
ラッパ部分が、木製というのは、なるほどと、妙に納得した。
しかし、曲は、東海林太郎の赤城の子守唄だったんだ!!!!???
うーん、なにか、クラシック音楽を、聞かせて、欲しかったぞ。

ガラスの館は、プラス料金があるので、入る人はほとんどいなかった。
で、説明員が、付いて回って、ひとつひとつ説明してくれたのは、ラッキーだった。
陳列されていたのは、大正時代のガラスの食器や装飾品など。ランプもあった。

色合いが、中間色で、やわらかく、ピンク色や若草色が、綺麗だった。
まだ、ガラスの製作技術が未熟だったとかで、不揃いの食器が多かった。
でも、なんか、人間的な魅力があり、思わず、微笑んでしまった。
すごい上げ底の、ちいさなガラス食器があったが、なんと、これは、
アイスクリームを入れる容器だったということ。

日本の田舎を旅行すると、いろいろな記念館やテーマ館がある。
しかし、多くは、たいしたことがなく、期待して行っても、
失望することがある。

今回の竹久夢二伊香保記念館は、群馬県の渋川市のはずれにある、
伊香保温泉の中にあるけど、
非常に内容が濃く、見る価値が高い、記念館だと思った。






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歌麿の浮世絵 ボストン美術館が封印していた紫の謎 [絵画]

3月4日の夜に放送された、NHKスペシャルは、浮世絵の話だった。
浮世絵なんていうと、私は、春画浮世絵のことしか、頭に浮かばない。
もちろん、春画浮世絵だって、詳しいわけではないが。
日本人なのに、浮世絵を良く知らないなんて・・・・・・

この番組では、ボストン美術館に封印されていた浮世絵の話が、メインだった。
アメリカ資産家が、収集した、スポルディング・コレクションというやつだ。
浮世絵が、退色しやすいなんて知らなかったが、このコレクションは、
それを懸念して、一切の展示を禁止して、保存されていたものだ。

北斎、広重、写楽、歌麿など、なんと、6500枚!!!
この番組では、喜多川歌麿の浮世絵が、テーマだった。
歌麿は、382枚あるそうだ。
春画があるのかどうかは、真面目な番組なので、不明だ。
ちょっと、残念か(アホ!)。

今回、最先端の現代写真技術で、この色鮮やかな歌麿の浮世絵の映像を、保存した。
その映像の解析から、歌麿は、実に細かい描写の技術があったことが、判明した。
たとえば、髪の生え際の細かい表現、薄絹の羽織りから下の着物が透けて見える表現、
蚊帳の中の女性の淡い表現、などなど。

制作当時のまま、保存されていた歌麿の浮世絵が、教えてくれた最大の衝撃は、
歌麿が、退色しやすい紫色を多用していたことだ。
退色する前の浮世絵を見ると、浮世絵の印象が、180度変わってしまうから、凄い!
これまで、退色した浮世絵をいろいろ研究しても、徒労だったのか・・・・・

歌麿が紫色を多用しているなんて、歌麿研究者の誰もが考えなかったことだという。
しかし、382枚の1/3に使われているので、好んでいたと言ってよい。
歌麿は、なぜ、紫色を好んだのか?

歌舞伎では、江戸紫は、粋で、いなせな、男伊達の象徴。
カッコイイからか?
幕府は、庶民に紫色を着るな、と御触れをだしたそうな。
歌麿は、それに反発して、浮世絵で多用したのか??

寛政3年から4年にかけて、歌麿は、女性の上半身の浮世絵を、創製する。
美人大首絵というそうだ。そんなこと、私は、全然、知らなかった。
歌麿っていうのは、凄いクリエーターだったんだね。

そして、実名入りの町娘の浮世絵を、どんどん書いていく。
すごいね、今で言う、ブロマイドだ。
そして、たいへんな人気となり、庶民が町娘見たさに、
町娘がいる店に、殺到したりしているんだ。

働く女性の浮世絵も、書いているとは、知らなかった。
男尊女卑が普通の江戸時代で、女性を見る目が、先駆的だったんだ。
鮑とりという浮世絵では、女性のヌードまで、堂々と書いている!!

まあ、春画浮世絵と比較すると、大したことはない。
よく分からないのは、歌麿も、春画浮世絵を画いていて、
そういうものの流通ってのは、アングラだったんだろうか??

時の幕府は、社会の秩序が乱れるのを恐れて、実名入りを禁止する。
歌麿は、負けじと、判じ絵で、実名を匂わせる。
その判じ絵までも、幕府は禁止するんだ。

いやー、歌麿という絵師は、相当な根性を持った、反骨漢だったんだ。
春画を描いたり、美人画を書いたりして、へらへらしていたわけじゃ、ないんだ。
それが証拠に、とうとう、幕府に逮捕されてしまう。

秀吉の大きな絵を書いたことが、幕府や将軍への批判と受け取られ、
歌麿は、絵を書くことを禁じられる処罰を受け、
それが原因か、2年後に、亡くなってしまうのだった。

歌麿の人生を見ると、ホント、大衆芸術家の創造性と気骨を感じるね。
いまどきの似非芸術家気取りは、拝金主義で、節操が無いヤツが多い。
歌麿の爪の垢でも、煎じて飲ませたい!(爺さんの口癖のパクリ)


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心を元気にする色のはなし「色彩セラピー」入門 [絵画]

コンビニで、「心を元気にする色のはなし「色彩セラピー入門」という
文庫本が目に入り、面白そうだったので、買って、読んでみた。
書いているのは、末永蒼生さん(62歳)で、2007年2月19日に第1版第1刷の新本だ。

末永さんは、色彩心理学者ということで、よくは知らないが、
「色彩学校」というのを、長年、主宰してきているそうだ。
わずか230ページの文庫本に、色彩に関する様々な話が、総花的に、盛り込まれていた。

色彩を扱うだけに、決して論理的な本ではない。
だから、色彩心理の話は、ちょっと、どうかなって思った。
例えば、赤は、愛憎とか、叫びとか、なんか、そういう人間の心を現している。

空が赤く彩られた、ムンクの「叫び」という絵も、それに合致しているという。
うーん、フィーリングで言われると、そうかもね・・・・

黄色を好む時は、決断の時だ、と、この本には書いてある。
私は、中学・高校時代、黄色と緑色が好きだったが、
あの時代が、私の決断の時だったのか・・・・・

ただ、ゴッホの絵画とか、推理小説の話など、黄色にまつわる
いくつかのエピソードは、ピンとこなかった。ちょっと、こじつけくさい。

緑色は、癒しの色だということは、この本を読まなくてもわかっていた。
森林の緑、若葉の緑、人間に安心感を与える色。
それにしては、緑のファッションが、意外に少ないのは、不思議だ。
私は、緑色のジャケットとか、タイを、多く持っているが、
そういうファッションを、街で見かけることは少ない。

青は、喪失感の表れと、著者の末永さんは、自分の体験を基に、書いている。
思い出すのは、私の友人の友人が、自分の部屋を、青色に塗りたくって、自殺した実話だ。
なぜ青? と不思議だったが、末永さんの説に従えば、その友人は、
大きな喪失感の果てに、自殺したのだろう。

紫色は、高貴な色と、私は、以前から、思ってきた。
末永さんによると、紫色は、赤と青を混合してできるので、葛藤を表しているそうだ。
歌手の美輪明宏さんの「紫の履歴書」にまつわるエピソードは、
なんか、よく分からなかったが、自由に色を使えない社会は、ファシズムだ
と言う話は、面白かった。

あと、ピンクとか白色の話もあったが、月並みなものだった。
ただ、モノクロの話は、なかなか、面白かった。
1つは、色彩豊かな画家・ピカソの「ゲルニカ」が、モノクロで書かれたいきさつだ。
スペインの都市・ゲルニカを無差別爆撃したナチスに対する抗議の絵画「ゲルニカ」。
モノクロの理由は、色彩がある種の救いを意味する、かららしい。

スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」も、ほとんどモノクロだ。
スピルバーグ監督は、自分の記憶がモノクロの映像だから、と言っているそうだが、
一方、白黒の映像は、なにか、凄い緊迫感を出すことは、確かだ。

末永さんは、あの阪神大震災の際に、心のケアのボランティアをしたそうだ。
絵を書くことで、地震のショックを吐き出す、というのには、
その手法を、私は知らなかっただけに、かなりビックリした。

特に、そういう目にあった子供たちに、絵を書かせ、月日が経つと、
虹の絵が多くなるという話にも、正直、驚いてしまった。

末永さんは、茶色が嫌いだったが、その理由は、彼の人生経験にあったとか。
そこで、カラーヒストリー(色彩の自分史)なるものを作成して、
心理分析することを実践しているそうだが、その信憑性は、疑問だった。

さらに、光線治療器は、かなり怪しい代物だし、
ドーパミン、右脳、記憶、認知症など、医学的な話にも言及しているが、
緻密な論証に欠け、色彩と医学とのリンクが、どこまで実証されているのか、
かなり疑問だった。

まあ、いろいろ疑問な点も、多々あるけど、
色彩について、網羅的にまとめた本という意味では、貴重な本だと思うよ。


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フェルメールの絵画を全点踏破した日本女性の本 [絵画]

オランダの画家・フェルメールが、最近、ますます人気が出てきている。
昨年5月12日の、このブログで、「青いターバンの少女」の絵画を、
現地に、観にいった話を書いた。
そして、昨年8月20日には、その絵画を題材にした、フェルメールの映画について、
このブログで書いた。

私は、とりわけ、この「青いターバンの少女」の絵画を気に入っているが、
先日、本屋を物色していたら、「フェルメール全点踏破の旅」という新書が
目に入ったので、買って、読んでみた。

この新書を書いているのは、朽木ゆり子さんという、ジャーナリストで、
現在は、ニューヨークに在住しているという。
この新書は、2006年9月20日に第1刷で、約半年前の出版だ。

フェルメールの絵画を、全点踏破しようというと、無理な話にも聞こえるが、
実は、フェルメールの絵画は、現在、残っているものが、非常に少ない。
この新書によると、真贋の議論がある絵画も含めて、37枚しかないそうだ。
そう! 極めて少ないので、全点踏破が可能だったんだ。

踏破した国は、5カ国(ドイツ、オランダ、英国、フランスアメリカ)で、
都市は、14都市に及び、まあ、驚くような数ではないけど、
朽木さんは、よく、観て廻ったものだ、と感心した。
さすが、ジャーナリスト。

01に挙げられたのが、「真珠の首飾り」(1662-65)で、
アクセサリーを付けている絵画だ。
この絵のポイントは、まずは、光の表現が素晴らしいこと。
そして、絵中の女性の、やや嬉しそうな表情の微妙さ。

私が、一番、印象的だったのは、やはり、若い女性が身に付けている
真珠のイヤリングが、白い光を放っていることだ。
絵画全体では、白い点のような耳飾りが、生きているように見える。

朽木さんは、この絵画全体の金色の色彩に、幸福感を感じている。
ただ、朽木さんが、絵中の鏡が小さいことを不思議だと書いているが、
あの時代に、大きい鏡を製作する技術が、無かっただけなんじゃないかな。

フェルメールの絵画に対する、朽木さんの説明は、
私にとっては、ジャーナリストの視点に、傾きすぎてる、と思った。
例えば、「紳士とワインを飲む女」や「取り持ち女」など、
ちょっと、男女関係を憶測しすぎているし、私には、興味がない。
絵画は、観た感覚というか、感性というか、そういうものが、第一義だ。

「窓辺で手紙を読む女」(1658-59)という絵画も、いい絵画だと思う。
やはり、左の窓から、光が入っている室内で、若い女性が、じっと、
手紙を読んでいる。

もうひとつ、手紙を読んでいる女性の絵画「青衣の女」(1660年代)がある。
この絵画は、フェルメールの最高傑作の1つと言われているそうだ。
この絵画は、左に窓も描かれていなくて、女性自体の絵画になっていて、
それが、1つの完成した、フェルメールの独特な世界を形成している。

フェルメールは、生活の中にある、1シーンをうまく絵画にして、
観る私たちに、いろいろな想いを、起こさせてくれる。
それが、今でも、人気の理由なのだろう。
しかし、朽木さんが指摘している、宗教を超えた荘厳な感じは、よく分からない。

朽木さんが、フェルメールの絵画の過去の履歴を、詳細に調べて、
この新書に記載しているのは、ジャーナリストとして、面目躍如たるものがある。
まあ、興味ある人には貴重だけど、私には、あまり興味がなかった。

この「フェルメール全点踏破の旅」という新書は、貴重な本だと思う。
フェルメールの絵画は、全点、写真入りで、掲載されているので、
フェルメールを良く知りたい人には、格好の入門書だ。

さらに、ジャーナリストとしても説明もあるので、百科事典みたいだ。
ただ、私の個人的感想としては、もう少し、朽木さん自身の、絵画自体の印象について、
書いてほしかったと思った。


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不思議な世界、ダリ回顧展の盛況 [絵画]

一昨日、12月23日は、上野の森美術館へ、ダリ回顧展を見に行ってきた。
このダリの展覧会は、生誕100年を記念して、9月から開催していた。
いろいろ、忙しくて、やっと見に行くことが出来た。
来年の1月4日が最終日なので、間に合ってよかった。

朝11時前に着いたが、既に多くの人が並んでいて、チケット売り場で
30分待ちとか、言われてしまった。こんなに盛況だとは思わなかったよ。
ただ、天気が良く、暖かかったので、助かった。

サルバドール・ダリは、いわずと知れた、世界的に有名な画家だ。
シュールレアリスムの巨匠で、20世紀美術史上、最大の奇才といわれる。
スペインのダリ財団とアメリカのダリ美術館から、60点が出展している。

残念ながら、私が、ダリを好きになるキッカケの絵画「燃えるキリン」(1935年)は、
出展されていなかった。

初期の作品では、「残照の老人」(1918年)が、印象に残った。
ダリが、まだ、14歳の時の作品で、少年が書いたとは思えない老成した雰囲気がある。
やはり、天才は、双葉より芳し、とは、ホントだね。

「パン籠」(1926年)は、メッチャ有名な作品で、実物を初めて見ることができた。
ダリの超写実的な絵画能力が、はっきりと出ている作品だ。
写実性では、「生きている静物(静物-速い動き)」(1956年)のリアルさには、
度肝を抜かされたよ。私の周りで見ている見学者たちも、一様に感心していた。

ダリは、色彩の妙というか、配色が凄い。
たとえば、「器官と手」(1927年)の濃い青の背景に、真っ赤な手、とか、
「秋のパズル」(1935年)の空・雲の淡い色と、濃い大地の茶色の対比、とか、
「ポルト・リガトの風景」(1950年)の多数の中間色を駆使した、風景の美しさ、だ。

ダリは、途方もないアイディアを絵にこめる。
たとえば、「カタルーニャのパン」(1932年)の柔らかい時計、とか、
「9月末の3匹の焼いた鰯のある皿の中の電話」(1939年)、とか、
「見えない人物たちのシュールレアリスム的構成」(1936年)では透明人間を描いている。

ダリの有名な絵画でも、意外に小さいものがあるのには、ビックリした。
たとえば、「記憶の固執の崩壊」(1952-54年)は、25cm×33cmという小ささだ。
この中に、いろいろなものを書き込んで、不思議な印象を持つ絵画に仕上げている。
「雲で満たされた頭を持つ男」(1936年)は、発想がとてもユニークだけど、
18.1cm×14cmという小さな絵画で、驚いた。

ダリの絵は、ダリしか書けない。
今回の回顧展で、しみじみ思ったことだ。
そういう画家を、天才と言うのだろう。

ところで、おまけがあった。
ダリが1929年に制作した映画「アンダルシアの犬」(1929年)が、上映されていた。
15分の短いフィルムで、シュールレアリスムというのは、よく解らなかった。
翌年1930年に、日本で、この映画のことが紹介され、
初めて、日本人は、ダリの名前を知ったそうだ。

それから、76年を経た今、ダリを知らない日本人は、少ないだろう。
しつこいけど、私は、「燃えるキリン」の実物を、やはり、見てみたい。
伊豆の伊東市の、池田二十世紀美術館に、ダリの別の「燃えるキリン」が、
展示されているように記憶しているので、それを見にいくかな。


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満員盛況だった藤田嗣治展 [絵画]

昨日5月13日、雨の中、東京国立近代美術館まで出かけていった。
と、入り口の群集にびっくりしていると、やはり藤田の絵を見に来ている人々だった。
その盛況ぶりに、ちょっとうろたえてしまった。館内へ入っても、人が多くて、
なかなか絵が見えない。こんなに人が多い展覧会も久しぶりだった。

まず、最初に、パリで頑張っていた若き藤田の絵画の数々だ。
「巴里城門」(1914年)は藤田にとって、独自手法を編み出した記念の絵であるが、
実物は意外と小さな絵で、へえーと思った。

そして、裸婦群である。乳白色の肌の色を初めて、しげしげと見てしまった。
ほんとうに不思議な色である。そして、不思議な立体感がある。
なかでも、「タピストリーの裸婦」(1923年)は一番気に入った絵だ。
若い女性の表情と猫と後ろのカーテンの柄が、なんともいえない良い感じだ。

藤田の裸婦の絵は、乳白色の肌の色だけではなくて、からだの輪郭を
極細い黒い線で描いているのが、繊細でとても美しい。
こういうのは、現物の絵を見ないと全くわからない。

中南米へ行って描いたという絵画の一群は、とても力強く、たくましい。
色もけっこう原色に近い色を使っている。
パリで繊細な絵を描いた藤田の絵とは思えない。

NHKTVでも見たが、「猫」(1940年)は確かにすさまじい絵だ。
14匹の猫が、様々に躍動している。こんな絵は他にないだろう。
藤田は、本当にいろいろな絵が描けたようだ。

そして、戦争画のコーナー。従軍画家として活躍した藤田。
「アッツ島玉砕」(1943年)と「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945年)を初めて観た。
すごかった、の一言のみ。戦争の悲惨さが、強く伝わってきて、涙ぐんだ。
これは、反戦の絵だね。

戦後、日本画壇との軋轢から、パリに定住した藤田。
ここでも、藤田はとてもユニークな絵を描いている。
それが、「動物宴」(1949-60年)だ。
犬、鶏、カラス、猫、狐、狼、ゴリラ、などなどが、テーブルを挟んで宴会をしてる!!
イソップ物語などを想起させる面白くて不思議な絵だ。

晩年に書かれた絵で、やはり、「誕生日」(1958年)と「校庭」(1956年)の
子供の絵が印象に残る。精密で綺麗な絵。箱根のポーラ美術館で観た絵だ。
こうやって、初期から晩年まで見てくると、子供の絵に落ちついた藤田の心境が
よくわかるような気がした。

もう一つ、「カフェにて」(1949-63年)の女性の絵がよかった。
非常に丁寧で、憂いを帯びた表情の女性の顔を、しばし、見つめてしまった。

日本画壇にイジメられ、日本人を嫌って、パリへ戻って晩年を過ごした藤田。
だが、生誕120年を記念した藤田の展覧会が、日本で開催され、
そんな過去のいきさつは、すっかり忘れてしまったように、
多くの日本人が詰め掛け、満員盛況であることを、
天国の藤田は、どんな想いで見ているのだろうか。



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現地で鑑賞した絵画「青いターバンの少女」 [絵画]

オランダの画家、ヨハネス・フェルメールが書いた「青いターバンの少女」という
絵画がある。
別名「真珠の耳飾りの少女」とも言い、青いターバンを頭に巻き、
大きな真珠の耳飾りをつけた魅力的な少女が振りかえっている有名な絵画だ。

描かれたのは、1665年から1666年というから、なんと340年も前の絵画なんだ。
私は、この絵画に魅せられて、持っている絵画の本に掲載されているこの絵画の
ページを何度も見たりしていた。

少し前だが、仕事でオランダへ行くことになった。
そのとき、この「青いターバンの少女」のことが脳裏をよぎったが、
仕事なので、この絵画を見ることはあきらめていた。

ところが、仕事が順調に進み、空き時間ができたのだ。
そこで、急に、この絵画が見たくなった。
幸い、デン・ハーグ駅の近くの駅にいたので、ものすごい雨の中、
「青いターバンの少女」が飾ってあるマウリッツ・ハイス美術館へ向かった。

マウリッツ・ハイス美術館は、デン・ハーグ駅から歩いていけるところにあったが、
なんと、その日は、休館日だった!!!!!
がっくりして、歩く元気もなくなったが、ずぶ濡れになった身体を引きずり、
近くのマクドナルドで頼んだティーを、死んだようになってすすっていた。

もう2度と見られるチャンスはないと覚悟していたが、
なんと次の日、これは滞在最終日、やはり、仕事が順調にいって、
また、空き時間ができて、執念で、マウリッツ・ハイス美術館へ入った。

ところが、どこに陳列されているのか、にわかにわからない。
守衛みたいな若い背の高い館員に、英語で聞いたら、4階だって教えてくれた。
そして、4階にたどり着き、「青いターバンの少女」を見つめていたら、
涙がぽろぽろこぼれてきた。

やっと対面できたという思いと、300年以上前の絵画なのに、
その絵画のあまりの美しさとみずみずしさに、思わず、感動してしまったのだ。
私は、「青いターバンの少女」の前で、ずっと、立ち尽くしていた。
そう、30分も見つめていただろうか。

マウリッツ・ハイス美術館では、その後、他の絵画も見たように思うが、
「青いターバンの少女」を見た感激に包まれたまま、ボーっと見て回ったようだ。
「青いターバンの少女」以外の絵画の記憶が、ほとんどない。
ともかく、非常な満足感を持って、デン・ハーグ駅に戻ってきた。

根が軽薄なもんで、美術館の売店で、
「青いターバンの少女」を複写したポスターとか、絵葉書とか、いろいろ買い込んだが、
「青いターバンの少女」が背中一面にプリントされているTシャツは、
いまだに一度も着ていない。









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伝説の天才画家 藤田嗣治 [絵画]

一昨々日の4月16日のNHK新日曜美術館で、画家の藤田嗣治の特集をやっていた。
「ベールを脱いだ伝説の天才の真実」と銘打って。

藤田嗣治の絵は、箱根のポーラ美術館で、子供の絵を見た記憶があり、
なんか、繊細で丁寧な絵だなあという印象であった。
しかし、藤田嗣治については、世界で高く評価された稀な日本人画家という程度の
理解しかなかった。

今回、このNHKの新日曜美術館を見て、もう、本当にびっくりしてしまった。
まず、大正時代にフランスのパリに渡り、たいへん苦労して、独自の画風を確立。
フランスの画壇の寵児となった。
今でも海外で活躍するのは容易でないが、90年も前に、単身フランスに乗り込んで
成功するというだけでも、金メダルものである。
しかも、その成功の仕方が、日本の伝統的な技術を加味しているというので
ますます感心してしまった。
藤田独自の「乳白色の肌」というのが、TVで見ても、なんか、本物の肌みたいで、凄い。

ところが、その成功を見た日本の画壇は、藤田に批判的になる。
いやですねー! 島国根性というのか、嫉妬深いというのか。
素直に金メダルを喜べばいいのに。

そして、昭和8年(1933年)、藤田は日本へ帰ってくるが、日本は軍国主義の国と
なっていて、藤田は国のためと、従軍画家で活躍する。
このとき書いたいくつかの戦争画で、画家としての最高の力を発揮したと、
ゲストの立花隆氏が言っていた。
もう、凄い迫力の絵だね。ただ、レギュラー出演の壇ふみさんが言っていたように、
戦意を高揚するような絵ではなかった。むしろ、戦争の悲惨さを訴える絵だった。
藤田は天然で正直な人だったんじゃないかな。

ところが、終戦直後、従軍画家で活躍したことが、また、日本画壇との軋轢になり、
藤田は日本がイヤになって、フランスへ戻り、なんと、フランスへ帰化してしまうのだ。
藤田は、最期は、フランス人として死んでいった。
なんか、かなり、悲しい寂しい話だ。同じ日本人同士なのに。
藤田は日本人を恨んでいたという。そうだろうね。大人のイジメだよ。

ただ、最後は穏やかに晩年を過ごしたという話を聞いて、ちょっとほっとした。
ポーラ美術館で見た子供の絵は、そういう時に描かれたものであると理解した。

絵画にオンチの私であるが、このNHKの番組で、生誕120年特集の藤田嗣治展が
東京国立近代美術館で、開催されていることを知った。
5月21日までなので、それまで、是非とも、本物の絵を見に行ってこようと思っている。


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